polaris7onigawara7’s blog

私が積み重ねてきた小さな経験が少しでも誰かの役に立ちますように。🍀

『はみだしっ子』、そしてはじかれっ子③

おはようございます。

 長男は1歳から5年間保育園で過し、その後は保育園時代の友達がほぼ全員行く予定の地元の小学校への入学を希望していました。当時担任だった保育士さんから何らかの障害の可能性を指摘され、他のお子さんとの違いや成長速度の遅さに不安や焦りをうすうす感じていたonigawaraは、きっかけを与えられネジを巻かれたブリキの車のおもちゃのように片っ端から児童臨床発達クリニックに子供を連れて行きました。児童発達専門の先生や自治体の就学関係のテストを受け、自治体が就学前に何らかの発達の遅れが認められる就学前の子供達を集めて元小学校教師・保育士さんによる集団行動の練習や体の動きをトレーニングする理学療法士(PT)や手先の動きのトレーニングをする作業療法士(OT)、言葉や会話のトレーニングをする言語聴覚士(ST)さん達による指導を受けてきました。仕事を続けながらの休みをとったり、半休をとったりしながら子供を連れて行きました。若いとき体力も精神的パワーもあったんですね。。
愛の手帳の申請もするように言われなかなか予約が取れず予約をしても半年後の検査になることが何度もありました。検査を受けても知的障害の範疇にはいらない(知的障害ではない)と何回受けても申請の受理には至らず、かといって入学を希望している小学校(の校長)と重ねてきた面談では特別支援級への入学を勧められ、ぎりぎりまで入学先が決まらない状態が続いていた。何度目かの校長副校長との面談で、母が子供の可能性を信じていることを改めて伝え、その校長がしばらく考えたあとに、「そこまで親御さんが希望するなら入学は許可します。ですがあなたのお子さん自身が、この学校生活が辛くなりSOSのサインや症状を出したときは、すぐに学校を変更して下さい。それはお子さんのためです。保護者の欲(エゴ)でお子さんに二次障害を負わせてはいけませんよ。」母「分かりました。」こうして家から一番近い小学校の入学が許可されました。