polaris7onigawara7’s blog

私が積み重ねてきた小さな経験が少しでも誰かの役に立ちますように。🍀

『母親になって後悔している』の本への反響で思ったこと

おはようございます。

 「はてなブログ|思いは言葉に。」で取り上げていた本がとても気になっています。それは『母親になって後悔している』(オルナ・ドーナト著 新潮社)。
自分のなかでずっとずっと長い間、夫が仕事で多忙で家庭・子育てに余りコミットしてもらえなかったからだとか、疲れているから気のせいだと誤魔化したり、自分と夫の両親が健在でも育児・子育てが大変な時に助けてもらえなかったのが一因だったかもと考え直してみたりして、その「感情」を完全否定してきた。
子供はできれば3人は欲しかった。休日には家族でピクニックや家族でボードゲームをしたり、たこ焼きお好み焼き会をしたり友人家族を招いたり...なんて夢見ていた。少しは実現したこともあるが、そのほとんどが単なる夢想に終わった。
経済的な問題でフルタイム労働で子育てに充てる時間が少ないとか、乳幼児期は病気になる事が頻繁でそのたびに仕事中も呼び出しがきて「母親」が職場管理者に状況を説明して退社し、預け先に迎えに行き病院受診する、翌日以降も子供の発熱や病気が治らなければ母が休む、保護者会、個人面談、小学校まで続く複数の予防接種のための受診、子供同士のトラブルで学校での話し合いに出向くのも、毎日のお弁当作りも、成長につれての身の回りの世話もすべて、全て「母」がする。
こどもの心のケアも母親。障害を持つ子供の悪戦苦闘の子育てもほとんど母親が担うことが多い。思春期・反抗期になると対峙するのはまず母。
母親だって初めて「親」になるのだから、試行錯誤の毎日で間違いだらけの日々なのに、非難の矢面に立つのは「母親」だ。このブログを開始してから、恐らく正式な「読者になる」になってなくても、恐らく”子育て”毒親・親ガチャ”で検索して摘まみ読みしているであろう毎回批判的なコメントをする精神科医YouTuberさん。たまに拝見していますよ。そのたびに、本当にダメ「母」だな自分って、落ち込んだりする。あまりに一方的な母親批判のときはYouTube視聴をやめる。
恐らくこの人は子育てをしたことがないのではないかと思ってしまう。幸せはある程度パターン化できるけれど、不幸はパターン化・カテゴライズできないほど多様。
 母親には自分という個人の時間がほとんどない。「一億総活躍時代」と亡くなられた元首相がスローガンをあげていた。「母親」を担ぎ出しはするが、サポートもフォローもないなかで、また仕事人としての役割を担わせようとしているのだと、テレビを見ながら無意識に眉間にしわを寄せた。「母親」は万能ではないです。一人の人間です。自分の人生を必死で生きている、「にんげん」です。